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小林秀雄の言葉 ( その61 ) 「 歴史 」 [小林秀雄]

 歴史を知るというのは、みな現在の事です。現在の諸君のことです。古いものは全く実在しないのですから、諸君はそれを思い出さなければならない。思い出せば諸君の心の中にそれが蘇って来る。不思議なことだが、それは現在の諸君の心の状態でしょう。だから、歴史をやるのはみんな諸君の心の働きなのです。こんな簡単なことを、今の歴史家はみんな忘れているのです。「歴史はすべて現代史である」とクローチェが言ったのは本当のことなのです。なぜなら、諸君の現在の心の中に生きなければ歴史ではないからです。それは史料の中にあるのではない。諸君の心の中にあるのだから、歴史をよく知るという事は、諸君が自分自身をよく知るということと全く同じことなのです。  ―小林秀雄「 講義 文学の雑感 」より―
※「日本国紀」副読本の中で、有本氏の言葉に『 百田さんの通史は「日本史」ではなくて、まさに「私たちの歴史」なのです。 』とありましたが、それで思い出したので、上記の小林秀雄氏の言葉です。久しぶりに、小林秀雄氏の言葉を掲載しました。

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小林秀雄の言葉 ( その1 ) ※ 再度掲載 [小林秀雄]

 私は本屋の番頭をしている関係上、学者というものの生態をよく感じておりますから、学者と聞けば教養ある人と思う様な感傷的な見解は持っておりませぬ。ノーベル賞をとる事が、何が人間としての価値と関係がありましようか。私は、決して馬鹿ではないのに人生に迷つて途方にくれている人の方が好きですし、教養ある人とも思われます。 「読書週間」21-27 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.170)
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小林秀雄の言葉 ( その60 ) [小林秀雄]

 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も亦旅人なり」と芭蕉は言った。恐らくこれは比倫ではない。僕等は歴史というものを発明するとともに僕等に親しい時間というものも発明せざるを得なかったのだとしたら、行きかう年も亦旅人である事に、別に不思議はないのである。僕等の発明した時間は生き物だ。僕等はこれを殺す事も出来、生か す事も出来る。過去と言い未来と言い、僕等には思い出と希望との異名に過ぎず、この生活感情の言わば対照的な二方向を支えるものは、僕等の時間を発明した僕等自身の生に他ならず、それを瞬間と呼んでいいかどうかさえ僕等は知らぬ。従ってそれは「永遠の現在」とさえ思われて、この奇妙な場所に、僕等は未来への希望に準じて過去を蘇らす。   「 ドストエフスキイの生活 」 11 - 一一七 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.81)
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小林秀雄の言葉 ( その59 ) [小林秀雄]

 子供が死んだという歴史上の一事件の掛替えの無さを、母親に保証するものは、彼女の悲しみの他はあるまい。どの様な場合でも、人間の理智は、物事の掛替えの無さというものに就いては、為す処を知らないからである。悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えて来る、恐らく生きていた時よりも明らかに。愛児のささやかな遺品を前にして、母親の心に、 この時何事が起るかを仔細に考えれば、そういう日常の経験の裡に、歴史に関する僕等の根本の智慧を読み取るだろう。   「 ドストエフスキイの生活 」 11 - 一一五 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.81)
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小林秀雄の言葉 ( その58 ) ※久しぶりに [小林秀雄]

 歴史は繰返す、とは歴史家の好む比倫だが、一度起って了った事は、二度と取返しが付かない、とは僕等が肝に銘じて承知しているところである。それだからこそ、僕等は過去を惜しむのだ。歴史は人類の巨大な恨みに似ている。若し同じ出来事が、再び繰返される様な事があったなら、僕等は、 思い出という様な意味深長な言葉を、無論発明し損ねたであろう。後にも先きにも唯一回限りという出来事が、どんなに深く僕等の不安定な生命に繁っているかを注意するのはいい事だ。愛情も憎悪も尊敬も、いつも唯一無類の相手に憧れる。あらゆる人間に興味を失う為には人間の類型化を推し進めるに如くはない。     「ドストエフスキイの生活」 11 - 一一四 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.80)
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小林秀雄の言葉 ( その57 ) [小林秀雄]

 凡ては永久に過ぎ去る。誰もこれを疑う事は出来ないが、疑う振りをする事は出来る。いや何一つ過ぎ去るものはない積りでいる事が、取りも直さず僕等が生きている事だとも言える。積りでいるので本当はそうではない。歴史は、この積りから生れた。過ぎ去るものを、僕等は捕えて置こうと希った。そしてこの乱暴な希いが、そう巧く成功しない事は見易い理である。     「ドストエフスキイの生活」 11 - 一一〇 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.79)
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小林秀雄の言葉 ( その56 ) [小林秀雄]

 末だ来ない日が美しい様に、 過ぎ去った日も美しく見える。 こうあって欲しいという未来を理解する事も易しいし、 歴史家が整理してくれた過去を理解する事も易しいが、 現在というものを理解する事は、 誰にもいつの時代にも大変難かしいのである。 歴史が、 どんなに秩序整然たる時代のあった事を語ってくれようとも、 そのままを信じて、 これを現代と比べるのはよくない事だ。 その時代の人々は又その時代の難かしい現在を持っていたのである。 少くとも歴史に残っている様な明敏な人々は、 それぞれ、 その時代の理解し難い現代性を見ていたのである。 あらゆる現代は過渡期であると言っても過言ではない。       「 現代女性 」 11-九四 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.79)
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小林秀雄の言葉 ( その55 [小林秀雄]

 諸君は又こういう事を考えてみないか。 混乱していない現代というものが、 嘗てあったであろうか、 又将来もあるであろうか、と。       「 現代女性 」 11-九四 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.78)
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小林秀雄の言葉 ( その54 ) [小林秀雄]

 決断だとか勇気だとか意志だとかを必要とする烈しい行為にぶつかる機もなく、 又そういう機を作ろうとも心掛けず、 日々を送っている人間は、 心理の世界ばかりを矢鱈に拡げて了うものだ。 別に拡げようとするのではないが、 無為な人の心は、 取止めもない妄念や不逞な観念が、 入乱れて棲むのに大変都合のいい場所なのである。       「 現代女性 」 11-九二 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.78)
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小林秀雄の言葉 ( その53 ) [小林秀雄]

 書物の数だけ思想があり、 思想の数だけ人間が居るという、 在るがままの世間の姿だけを信ずれば足りるのだ。 何故人間は、 実生活で、 論証の確かさだけで人を説得する不可能を承知し乍ら、 書物の世界に這入ると、 論証こそ凡てだという無邪気な迷信家となるのだろう。 又、 実生活では、 まるで違った個性の間に知己が出来る事を見乍ら、 彼の思想は全然誤っているなどと怒鳴り立てる様になるのだろう。 或は又、 人間はほんの気まぐれから殺し合いもするものだと知ってい乍ら、 自分とやや類似した観念を宿した頭に出会って、友人を得たなどと思い込むに至るか。  みんな書物から人間が現れるのを待ち切れないからである。 人間が現れるまで待っていたら、 その人間は諸君に言うであろう。 君は君自身でい給え、 と。 一流の思想家のぎりぎりの思想というものは、 それ以外の忠告を絶対にしてはいない。 諸君に何んの不足があると言うのか。       「 読書について 」 11-八八 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.77)
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小林秀雄の言葉 ( その52 ) [小林秀雄]

 文字の数がどんなに増えようが、 僕等は文字をいちいち辿り、 判断し、 納得し、 批評さえし乍ら、 書物の語るところに従って、 自力で心の一世界を再現する。 この様な精神作業の速力は、 印刷の速力などと何んの関係もない。 読書の技術が高級になるにつれて、 書物は、 読者を、 そういうはっきり眼の覚めた世界に連れて行く。 逆にいい書物は、 いつもそういう技術を、 読者に眼覚めさせるもので、 読者は、 途中で度々立ち止り、 自分がぼんやりしていないかどうか確めねばならぬ。 いや、 もっと頭のはっきりした時に、 もう一っぺん読めと求められるだろう。 人々は、読書の楽しみとは、 そんな堅苦しいものかと訝るかも知れない。 だが、 その種の書物だけを、 人間の智慧は、 古典として保存したのはどういうわけか。 はっきりと眼覚めて物事を考えるのが、 人間の最上の娯楽だからである。       「 読書について 」 11-八七 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.77)
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小林秀雄の言葉 ( その51 ) [小林秀雄]

 書物が書物には見えず、 それを書いた人間に見えて来るのには、 相当な時間と努力とを必要とする。 人間から出て来て文章となったものを、 再び元の人間に返す事、 読書の技術というものも、 其処以外にはない。 もともと出て来る時に、 明らかな筋道を踏んで来たわけではないのだから、 元に返す正確な方法があるわけはない。       「 読書について 」 11-八三 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.76)
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小林秀雄の言葉 ( その49 ) [小林秀雄]

 濫読による浅薄な知識の堆積というものは、 濫読したいという向う見ずな欲望に燃えている限り、 人に害を与える様な力はない。 濫読欲も失って了った人が、 濫読の害など云々するのもおかしな事だ。 それに、僕の経験によると、 本が多過ぎて困るとこぼす学生は、大概本を中途で止める癖がある。 濫読さえしていない。    「 読書について 」 11 - 八〇  (人生の鍛錬 P.74)
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小林秀雄の言葉 ( その48 ) [小林秀雄]

 僕は、高等学校時代、 妙な読書法を実行していた。 学校の往き還りに、 電車の中で読む本、 教室で窃かに読む本、 家で読む本、 という具合に区別して、 いつも数種の本を平行して読み進んでいる様にあんばいしていた。 まことに馬鹿気た次第であったが、 その当時の常軌を外れた知識欲とか好奇心とかは、 到底一つの本を読み了ってから他の本を開くという様な悠長な事を許さなかったのである。 「 読書について 」 11 - 八〇  (人生の鍛錬 P.74)
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小林秀雄の言葉 ( その47 ) [小林秀雄]

 独創的に書こう、 個性的に考えよう、 などといくら努力しても、 独創的な文学や個性的な思想が出来上るものではない。 あらゆる場合に自己に忠実だった人が、 結果として独創的な仕事をしたまでである。 そういう意味での自己というものは、 心理学が説明出来る様なものでもなし、 倫理学が教えられる様なものでもあるまい。 ましてや自己反省という様な空想的な仕事で達せられる様なものではない。 それは、実際の物事にぶつかり、 物事の微妙さに驚き、 複雑さに困却し、 習い覚えた 知識の如きは、肝腎要の役には立たぬと痛感し、 独力の工夫によって自分の力を試す、 そういう経験を重ねて着々と得られるものに他ならない。    「 疑惑Ⅰ 」 11 - 七七  (人生の鍛錬 P.73)
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小林秀雄の言葉 ( その46 ) [小林秀雄]

 過去の人間の真相は知り難いというが、 現在の人間の真相を知る方が、 もっと容易だとは言えまい。 更に又自分の真相とは一体どういうものだろう。 要するに凡そ物の真相とは、 人間が追求するが発見は出来ない或るものの様にも考えられるし、 発見はするが追求は出来ない或るもののようにも考えられる。 恐らくどちらも本当であろう。   「エーヴ・キューリー 「キューリー夫人伝」 11 - 五一 (人生の鍛錬 P.72)
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小林秀雄の言葉 ( その45 ) [小林秀雄]

 平和とは休戦期の異名だ、 と誰かが言った。 それは本当の様だが嘘である。 頭の中で平和と戦とを比較してみた人の理窟である。 だが実際の平和と実際の戦とは断然とした区別があるのではあるまいか。 人間は戦うまで戦というものがどういうものか知らぬ。 どんなに戦の予想に膨らんだ人もほんとうに剣をとって戦うまでは平和たらざるを得ない。 人間は戦う直前に何か知らない一線を飛び越える。    「 満州の印象 」 11 - 一九  (人生の鍛錬 P.72)
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小林秀雄の言葉 ( その44 ) [小林秀雄]

 僕等が自分達の性格に関する他人の評言が気に食わぬのは、 自分を一番よく知っているのは自分だという自惚れに依るのでは恐らくないだろう、 凡そ性格に関するはっきりした定義を恐れているのだ。 自分はどの様な人間にせよかくかくの人間だとどうしようもなく決められるその事を、 人性は何にもまして好まないのである。 僕等は他人の性格に関しては、 はっきりした知識を持った気でいる事が便利だが、自分白身の性格に関しては不得要領に構えているのが便利である。 いや便利と言うより、 己れの何物たるかをはっきりとは合点出来ない事が、 僕等の生きるに必要な条件かも知れない。   「 山本有三の 『 真実一路』 を廻って 」 10-二二八 (人生の鍛錬 P.68)
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小林秀雄の言葉 ( その43 ) [小林秀雄]

 事実は小説より奇だ、 これは実に本当の事である。 言語に絶する光景という様なものは、 なかなか日常見られるものではないと僕等は思い込んでいる。 ただそう思い込んでいるだけだ。 若し心を空しくして実生活を眺めたら、 日常生活も驚くべき危機に満ちている。
  「 山本有三の 『 真実一路』 を廻って 」 10-二二二 (人生の鍛錬 P.67)
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小林秀雄の言葉 ( その42 ) [小林秀雄]

 僕は非常に音楽が好きである。 だから、 演奏会では、 よくうとうと眠る。 笑う人もあるが、 河上徹太郎の様な音楽の造詣の深いのになると、 そんな風になると一人前だと言って褒めてくれる。 実際、 演奏会で音楽を聞いている状態は、 床の中で寝ようとする時の状態に酷似しているのであって、 言ってみれば絶対の屈従によって、 心の自由を獲得しょうとする状態なのである。
  「山木有三の 『 真実一路 』 を廻って 」 10-二一四 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.67)
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