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山折哲雄の言葉 ( その4 )  [山折哲雄]

 ◆宗教学者の山折哲雄さんは『こころの作法』(中公新書)のなかで、知人がこしらえたという鐘のジョークを紹介している。教会の鐘は「カーン、カーン(come=来る)」と鳴り、お寺の鐘は「ゴーン、ゴーン(gone=去りぬ)」と鳴る…◆日本人の無常観は鐘の響き「ゴーン」と深い関係がありはしないかと、山折さんは言う◆
 文美禄 : 山折哲雄氏のことが、今朝の読売新聞・編集手帳に掲載されていました。 ( 一部掲載 ) 司馬遼太郎氏は、死去する前年山折氏との対談を希望して対談をしました。 その内容はNHKでも放送され、本にもなりました。 誰でも長く生きて、深く人生のことや、世の中のことを思うと、宗教的・哲学的になるものだと思います。 これを今年最後の紹介本とします。

日本とは何かということ―宗教・歴史・文明

日本とは何かということ―宗教・歴史・文明

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 1997/03
  • メディア: 単行本



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山折哲雄の言葉 ( その3 ) [山折哲雄]

 いずれにしろ、 言葉の軟弱化は七〇年代から八〇年代にかけて始まり、 いまでは少年による殺人事件やいじめ自殺などが起きるたびに、 新聞でもテレビでも 「 命を大切にする教育を! 」 の大合唱が巻き起こるようになっている。 そんな教育は何十年も前から行なわれているにもかかわらず'状況がかえって悪くなっていることには誰も気づこうとしない。
 なぜ 「 命を大切にしましょう 」 という教育が、 殺人や自殺の歯止めにならないかといえば、 その言葉が何の力も持っていないからだろう。 「 殺すな 」 が深い葛藤を生じさせ、 したがって生半可な覚悟では言えないのに対して、 「 命を大切にしましょう 」 は誰にでも簡単に口にできる。 まったく良心の呵責を感ずることなしに垂れ流すことのできる、 きわめて無責任な言葉だからだ。
 ちなみに、 こうした言い換えが行なわれた言葉は 「 殺すな 」 だけではない。 宗教の黄金律には 「 殺すな 」 のほかに 「 盗むな 」、 「 嘘をつくな 」 といったものがあるが、 これも同様に教育の世界から消え去っている。
 これはどちらも 「 殺すな 」 と同じように、 現実に生きていく上では誰もが避けて通れない行為だ。 いっさいの盗みや嘘と無縁に生きている人間などひとりもいない。 それでも宗教は 「 盗むな 」、 「 嘘をつくな 」 と言い続けてきた。
 だが、 いまの教育は、 それを葛藤のない薄っぺらな言葉に言い換える。 「 盗むな 」 ではなく 「 他人に物を与えましょう 」、 「 嘘をつくな 」 ではなく 「 真実を言いましょう 」 と教えるわけだ。 これは実に言いやすい。 たぶん泥棒や詐欺師でさえ、 悪びれることなく平気で口にできるだろう。
 山折哲雄 「早朝座禅-凛とした生活のすすめ」 序章 30頁~ 祥伝社新書 初版2008/8


早朝坐禅―凛とした生活のすすめ (祥伝社新書)

早朝坐禅―凛とした生活のすすめ (祥伝社新書)

  • 作者: 山折 哲雄
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 新書



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山折哲雄の言葉 ( その2 )  [山折哲雄]

雨ニモマケズ手帳.jpg
 (前略) もうおわかりのようにこの 「 雨ニモマケズ 」 の詩はプロローグの 「 南無妙法蓮華経 」 で始まり、エピローグの 「 南無妙法蓮華経 」 で終わっているのです。 (中略) その大切な祈りの言葉をぜんぶ削り取ってしまっては、宮沢賢治という詩人が最後に死を迎えようとしているときの心の状態がわからなくなる。
  山折哲雄 「わたしが死について語るなら」 第3章 96頁~ ポプラ社
     ( 写真は宮沢賢治の手帳の写し )

 文美禄: その後に 「教科書などではそれが平気で削り取られてしまっているのです。」 「 それでは賢治を理解したことにならないでしょう。 」 と書かれています。
  今まで掲載してきた 「 言葉 」 シリーズすべてがそうですが、 掲載したページ ( 文章 ) の前後を読まなければ、 詳しい意味はわかりにくいかもしれません。
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山折哲雄の言葉 ( その1 ) [山折哲雄]

「 ひとり 」 を生き抜いているか
(前略)
 そんなときふと耳を澄ますと、 天の方からかすかにきこえてくるのが、
  人はひとりで生まれ、 ひとりで死んでいく
という声である。 「 ひとり 」 という言葉が、 重くずしんとひびくのである。
 けれどもわれわれはそんな場合、
  人は個人として生まれ、 個人として死んでいく
とは、いわない。 個人という言葉が口をついて出ることはまずないのだ。
 考えてみればここでいう「ひとり」が万葉集の時代から現代まで、 えんえんと語りつづけられてきた 「 ひとり 」 だったということに気づく。 それにくらべれば、 西欧からの輸入語である個とか個人の歴史はせいぜいここ百年ぐらいのことだった。
 人間の生と死にかかわっていわれつづけてきた 「 ひとり 」 が、 じつは人間の存在そのものに由来する言葉だった、 ということではないだろうか。

山折哲雄 『 「 ひとり 」 の哲学 』 (新潮選書) 978-4-10-603793-1
http://www.shincho-live.jp/ebook/nami/2016/11/201611_14.php
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沈黙 [山折哲雄]

美しいものを前に、何も言わずにじっと見る。
必要なものは、ただ「沈黙」。

 深い沈黙 ・ 美しい沈黙 ・ 静かな沈黙 ・ 豊かな沈黙
     「 山折哲雄セレクション 生きる作法Ⅲ iii より 」
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