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小林秀雄の言葉 ( その21 ) [小林秀雄]

 現代知識人達は、 言葉というものを正当に侮蔑していると思い上っているが、 彼等を思い上らせているものは、 何んの事はない、 科学的という、 えたいの知れぬ言葉の力に過ぎない。 これは、 知識人達の精神環境を、 一瞥しただけで分る事だろう。 日常の言葉から全く離脱した厳密な意味での科学は黙し、 科学的な科学という半科学のお喋りだけに取巻かれているからだ。心理学とか社会学とか歴史学とかいう、 人間について一番大切な事を説明しなければならぬ学問が、 扱う対象の本質的な曖昧につき、 表現の数式化の本質的な困雛につき、 何んの嘆きも現していない。 それどころか、 逆に、 まさにその事が、 学者達を元気付けているとは奇怪な事だ。 彼等は、 我が意に反し、 止むを得ず、 仕事の上で日常言語を引摺っているとは決して考えない。 そんな考えが浮ぶのには、 彼等が手足を延ばし、 任意に、 専門語、 術語が発明出来る世界は、 ちと屈心地がよすぎる。 一と口に科学と言っても、 彼等の科学は、 単に、 様々な分析的思想と呼んだ方がよい、 という常識的見解を、 彼等は理由なく嫌う。 いや、 理由はある。 亡霊が、 学者の尻を叩いて、 絶えず命令する、 人間の非人開化に、 物質化に、 合理化に、 抽象化に遺漏はないか。 すると学者は、 命令を、 直ちに次の言葉に翻訳して、 自分に言い聞かせ、 他人にも押しつける、 人間的現実を直視せよ、 と。 これが、 現代の知性という美名の下に行われている言わば大規模な詐欺であり、 現代の一般教養の骨組をなす。
      「 弁名 」 24 - 四六 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.200)
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小林秀雄の言葉 ( その20 ) [小林秀雄]

 人々は批評という言葉をきくと、 すぐ判断とか理性とか冷眼とかいうことを考えるが、 これと同時に、 愛情だとか感動だとかいうものを、 批評から大へん遠い処にあるものの様に考える、 そういう風に考える人々は、 批評というものに就いて何一つ知らない人々である。
   「批評について」 3 -二 一九 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.28)
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小林秀雄の言葉 ( その19 ) [小林秀雄]

 成る程、 己れの世界は狭いものだ、 貧しく弱く不完全なものであるが、 その不完全なものからひと筋に工夫を凝すというのが、 ものを本当に考える道なのである、 生活に即して物を考える唯一つの道なのであります。
     「文学と自分」 13-一五一 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.99)
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小林秀雄の言葉 ( その18 ) [小林秀雄]

 僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。 黙って処した。 それについて今は何の後悔もしていない。 大事変が終った時には、 必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、 事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。 必然というものに対する人間の復讐。 はかない復讐だ。 この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、 それさえなければ、 起らなかったか。 どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。 僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。 僕は無智だから反省なぞしない。 利巧な奴はたんと反省してみるがいいじやないか。
  「 コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで 〈座談〉」 15 - 三四 (人生の鍛錬 P.117)
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小林秀雄の言葉 ( その17 ) [小林秀雄]

 画を見る為に、 人々は、 めいめいの喜びも悲しみも捨ててかかる必要はない。 各自が各自の個性を通し、 異つた仕方で一枚の画に共感し、 われ知らず生き生きとした自信に満ちた心の状態を創り出す。 そういう心は、 互いにどんなに異なっていようが、友を呼び合うものです。
  「私の人生観」 17 - 一八一 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.142)
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小林秀雄の言葉 ( その16 ) [小林秀雄]

 海が光ったり、 薔薇が咲いたりするのは、 誰の眼にも一応美しい、 だが、 人間と生れてそんな事が一番気にかかるとは、 一体どうした事なのか。
   「私の人生観」 17 - 一七七 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.141)
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小林秀雄の言葉 ( その15 ) [小林秀雄]

 美しい自然を眺めてまるで絵の様だと言う、 美しい絵を見てまるで本当の様だと言い
ます。 これは、 私達の極く普通な感嘆の言葉であるが、 私達は、 われ知らず大変大事な
事を言っている様だ。 要するに、 美は夢ではないと言っているのであります。
   「私の人生観」 17 - 一七七 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.141)
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小林秀雄の言葉 ( その14 ) [小林秀雄]

 人間は、 一枚の紅葉の葉が色づく事をどうしょうもない。 先ず人間の力でどうしょうもない自然の美しさがなければ、 どうして自然を模倣する芸術の美しさがありましょうか。 言葉も亦紅葉の葉の様に自ら色づくものであります。 ある文章が美しいより前こ、 先ず材料の言葉が美しいのである。 例えば人情という言葉は美しくないか、 道徳という言葉は美しくないか。 長い歴史が、 これらの言葉を紅葉させたからであります。
   「文学と自分」 13 - 一四七 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.98)


人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書)

人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/04
  • メディア: 新書



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小林秀雄の言葉 ( その13 ) [小林秀雄]

 あるとき、 娘が、 国語の試験問題を見せて、 何んだかちっともわからない文章だという。 読んでみると、 なるほど悪文である。 こんなもの、 意味がどうもこうもあるもんか、 わかりませんと書いておけばいいのだ、 と答えたら、 娘は笑い出した。 だって、 この問題は、 お父さんの本からとったんだって先生がおっしゃった、 といった。 へえ、 そうかい、 とあきれたが、 ちかごろ、 家で、 われながら小言幸兵衛じみてきたと思っている矢先、 おやじの面目まるつぶれである。 教育問題はむつかしい。
    「 国語という大河 」 21-二七九 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.179)
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小林秀雄の言葉 ( その12 ) [小林秀雄]

 見るとか聴くという事を、 簡単に考えてはいけない。 ぼんやりしていても耳には音が聞こえて来るし、 特に見ようとしなくても、 眼の前にあるものは眼に見える。 耳の遠い人もあり、 近視の人もあるが、 そういうのは病気で、健康な眼や耳を持ってさえいれば、 見たり聞いたりすることは、 誰にでも出来る易しいことだ。 頭で考えることは難しいかもしれないし、 考えるのには努力がいるが、 見たり聞いたりすることに、 何の努力が要ろうか。 そんなふうに、 考えがちなものですが、 それは間違いです。 見ることも聞くことも、 考えることと同じように、 難しい、 努力を要する事なのです。
   「美を求める心」 21-二四四 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.176)
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小林秀雄の言葉 ( その11 ) [小林秀雄]

 個性尊重の風潮或は教育に養はれたのは、 個性の假面を被った自負に過ぎない。 他と異らうと努めたり、 個性を意識的に延ばさうとしたり、 或は個性を社会性に調和させようとしたり、 要するに個性に関するとやかくの工夫で、 弄り廻されて、どうして個性が病まないでゐられようか。
 病んだ個性は、 個性を主張しながら、 画一的な綱領や主義に対し、 殆ど抵抗する力がない。 自負心ほど弱いものはない。 ( ヒューマニズム )
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小林秀雄の言葉 ( その10 ) [小林秀雄]

 宮本武蔵の独行道のなかの一条に 「 我事に於て後悔せず 」 という言葉がある。 菊池寛さんはよほどこの言葉がお好きだったらしく、 人から揮毫を請われるとよくこれを書いておられた。 菊池さんは、 いつも 「 我れ事 」 と書いておられたが、 私は 「 我が事 」 と読む方がよろしいのだろうと思っている。 それは兎も角、 これは勿論一つのパラドックスでありまして、 自分はつねに慎重に正しく行動して来たから、 世人の様に後悔などはせぬという様な浅薄な意味ではない。 今日の言葉で申せば、 自己批判だとか自己清算だとかいうものは、 皆噓の皮であると、 武蔵は言っているのだ。 そんな方法では、 真に自己を知る事は出来ない、 そういう小賢しい方法は、 寧ろ自己偽瞞に導かれる道だと言えよう、 そういう意味合いがあると私は思う。 昨日の事を後悔したければ、 後悔するがよい、 いずれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来るだろう。 その日その日が自己批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、 批判する主体の姿に出会う事はない。 別な道がが屹度あるのだ、 自分という本体に出会う道があるのだ、 後悔などというお目出度い手段で、 自分をごまかさぬと決心してみろ、 そういう確信を武蔵は語っているのである。 それは、 今日まで自分が生きて来たことについて、 その掛け替えの無い命の持続感というものを持て、 ということになるでしょう。 そこに行為の極意があるのであって。 後悔など、 先に立っても立たなくても大したことではない、 そういう極意に通じなければ、 事前の予想も事後の反省も、 影と戯れる様なものだ、 とこの達人は言うのであります。 行為は別々だが、 それに賭けた命はいつも同じだ、 その同じ姿を行為の緊張感の裡に悟得する、 かくの如きが、 あのパラドックスの語る武蔵の自己認識なのだと考えます。 これは彼の観法である。 認識論ではない。  小林秀雄 「 私の人生観 」 P.36
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小林秀雄の言葉 ( その9 ) [小林秀雄]

  詩人は、 自分の悲しみを、 言葉で誇張して見せるのでもなければ、 飾り立てて見せるのでもない。 一輪の花に美しい姿がある様に、 放って置けば消えて了ふ、 取るに足らぬ小さな自分の悲しみにも、 これを粗末に扱はず、 はっきり見定めれば、 美しい姿のあることを知ってゐる人です。 悲しみの歌は、 詩人が、 心の眼で見た悲しみの姿なのです。 これを読んで、 感動する人は、 まるで、 自分の悲しみを歌って貰ったやうな気持ちになるでせう。 悲しい気持ちに誘はれるでせうが、 もうその悲しみは、 不断の生活のなかで悲しみ、 心が乱れ、 涙を流し、 苦しい思ひをする、 その悲しみとは違ふでせう。 悲しみの安らかな、 静かな姿を感じるでせう。 そして、 詩人は、 どういふ風に、 悲しみに打ち勝つかを合点するでせう。
     ( 美を求める心 )
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小林秀雄の言葉 ( その8 ) [小林秀雄]

 堪へ難い心の動揺に、 どうして堪へるか。 逃げず、 ごまかさず、 これに堪へ抜く、 恐らくたった一つの道は、こ れを直視し、 その性質を見極め、 これをわが所有と変ずる、 さういふ道だ。 力技でも難業でもない、 それが誰の心にも、 おのづから開けてゐる「言辞の道」だ、 と宣長は考へたのである。
  (本居宣長)
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小林秀雄の言葉 ( その7 ) [小林秀雄]

 喜びといっても、 苦しくなければ喜びなんてありません。 学問をする人はそれを知っています。 嬉しい嬉しいで学問をしている人はいない。 困難があるから面白いのです。 やさしいことはすぐつまらなくなります。 そういうように人間の精神はできているのです。 だから子供の喜びとは違うのです。 喜びというものはあなたの心の中から湧き上るのです。
   (「常識について」質疑応答)


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小林秀雄の言葉 ( その6 ) [小林秀雄]

 強い精神にとっては、 悪い環境も、 やはり在るが儘の環境であってそこに何一つ欠けてゐる処も、 不足してゐるものもありはしない。 不足な相手と戦えるわけがない。 好もしい敵と戦って勝たぬ理由はない。 命の力には、 外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わってゐるものだ。 この思想は宗教的である。 だが、空想的ではない。
  「モオツアルト」 小林秀雄
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小林秀雄の言葉 ( その5 ) [小林秀雄]

 感動した時には自分自信になる

自分の一生をふりかえってみて、
ぼくは自分しか出していませんね。
ぼくはいつでも感動からはじめた。
感動というものはいつでも統一したものです。
分裂した感動などというものはありません。
感動している時には世界はなくなるものです。
感動した時にはいつも自分自身になる、どんな馬鹿でも。
これは天与の知恵だね。
感動しなければ人間はいつでも分裂していますよ。

「感想-本居宣長をめぐって-」 質疑応答
 生きること生かされること 兄小林秀雄の心情 P.79
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小林秀雄の言葉 ( その4 ) [小林秀雄]

 生活経験の質、その濃淡、深浅、純不純を、私達は、お互に感じ取っているものだ。敢えて言えば、その真偽、正不正まで、暗黙のうちに評価し合っているものだ。それが生活するものの知慧だ。常識は、其処に根を下している。だからこそ、常識は、社会生活の塩なのだ。  小林秀雄 「或る教師の手記」
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小林秀雄の言葉 ( その3 ) [小林秀雄]


この人を見よ: 小林秀雄全集月報集成 (新潮文庫)

この人を見よ: 小林秀雄全集月報集成 (新潮文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/12/22
  • メディア: 文庫


「いまの奴の話は面白くないね。 ぺらぺらしゃべるんだが、全然自分の批判もないし、感情もなくて、きいたまま、みたままをしゃべるからだ。 子供はきいたことみたことをうまく話せないだろう。 自分の感情でいっぱいになるからだよ。 きいたものは自分の腹でよくこなして、自分のものとして話さなけりゃね。 うのみにしてはき出しちゃ面白くないよ 」
「 今の人は個性がなくなったからでしょう 」
「 個性だってそうさ。 自分勝手な非常識なことをして社交性がないのを、あの人は個性が強いなんていうが、個性が強いんじゃなくて、自己が強いんだ。 個性なんてものは、ひとりよがりの思い上がりで、できるもんじゃない。 柔軟な心で、素直に社会と交わなければ、生まれないものだ。 社会的なものがあってこそ、個性は成長するんだよ 」
  「この人を見よ」 202頁 新潮文庫 ( 最近の兄 高見澤潤子 )
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小林秀雄の言葉 ( その2 ) [小林秀雄]


モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

  • 作者: 小林 秀雄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1961/05/17
  • メディア: 文庫


 天才とは努力し得る才だ、というゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されていない。 努力は凡才でもするからである。 然し、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。 彼には、いつもそうあって欲しいのである。 天才は寧ろ努力を発明する。 凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問を見るという事が屢々起るのか。 詮ずるところ、強い精神は、容易な事を嫌うからだという事になろう。   「モオツアルト」 15-62 小林秀雄 (人生の鍛錬 P.118)
 千住真理子に限らず、天才と呼ばれた音楽家(演奏者)の練習量はすさまじく、子供のころから毎日数時間はしている。 そういえば、卓球の 「 伊藤美誠 」 も、小さいころから長時間の練習をしているらしい。 ( 正直なところ、弱い自分に、ため息が出るばかり・・・ )

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